自律神経失調症で2ヶ月休職しました。後半
どうも、ちー散歩です。
では後半です!
病院を変えても、なかなか調子が良くならなかった。
しかし、食べる事がままならず、その時はうどんやお粥などお腹に優しいものをなんとか食べている状態でした。
そして実は漢方は飲み始めて効き始めるのは早くても1ヶ月はかかります。
その漢方が合わなかったり、効果が出なかったりすると、その間なんの意味もなく、睡眠薬などに頼るしかなかったです。
しかし、ついに睡眠薬一錠だけでは眠れなくなりました。
そうなってくると、眠れない日が続き、食べれなくなっていき、食べても気持ち悪くなるばかりで、数ヶ月で10キロは痩せました。
眠れない、食べられないが続き、体力的にも限界がきました。
その最悪な状態にインフルエンザにかかってしまい、会社を休んでインフルエンザを治し出社しましたが、
インフルエンザで体力が奪われたのか、
一日仕事に行くだけでも辛く、仕事から帰宅するたびに泣いて辛さを家族にぶつけていました。
自分の辛さを家族に理解してもらえない辛さ。
これは一番辛かったです。
自分はつらくて、仕事から帰って泣いていて、仕事を少し休みたい事を職場の人に話したと伝えると「お前よくそんなこと言えたな」と怒られました。
私はその当時、そうなりたくてそうなってるわけでもないし、わざと仮病を使っているわけでもないのに、どうしてそんな事を言われなければならないのかと思いました。
私が眠れない時家族が大声で笑い、話していて、その時に物音など敏感に反応していたので、その家族の声が余計に眠れない状況になっていたので家族に「少し静かにしてほしい。」と伝えたところ「そんなに気になるんやったら。じゃあお前が耳栓すれば?」と言われました。
「お前は考えすぎや」などいろいろ言われましたが、考えたくなくても考えてしまうというそういう精神状態だったので、自分で自分をコントロールする事がしたくてもできなかったんです。
それを家族に理解してもらえなかった事が一番つらく、ショックでした。
ついに会社を2カ月休職する決断をする。
家族にも理解してもらえない。
上司の人にも心無い言葉を言われ、私は「このままでは自分がダメになる。自分でなんとかしないと」と思い。
休職する事を決断しました。
休職したいという旨を部長さんに伝えるとその部長さんは理解して頂き、むしろ「今までおばちゃんの分まで頑張ろうとしてたんだろ?そんなに頑張らなくてもいいんだよ」っと言ってくれました。
その言葉ほんとうに救われました。
そして部長さんは「今日からとりあえず3日間は有休で休みなさい。それで病院に行って診断書を貰ってきてほしい。お医者さんと相談して、休む期間を決めてもらったらいいよ」っと。
私はこれで少し気持ちが楽になった気がしました。
医者に「休む必要はないかもしれない」と言われたとしても、自分が辛ければ休んでもいい。
そして私は部長さんに言われた通り、心療内科に行き、診断書を貰いに行きました。
今まで自分の病名というか、何がどうなっているかの説明はしてもらえなかったので、というか先生もよく分からなかったのだと思いますが(笑)
診断書にはなんて書くんだろうと思っていたら、「自律神経失調症」と病名の欄に記入されていました。
その時に形として「自律神経失調症」となりました。
そこで先生が「あなたは会社を休むほどではなさそうだけど」と言われましたが、私は「たしかにそうかもしれません。でも自分が辛いので休みます。」っと伝えました。
もしこれが先生の言われた通り「やっぱりそうですか、では休みません」と言っていたら、最悪な方向へ向かっていたと思います。
なので、自分が辛いなら休む。
例え周りからは元気そうに見えているなら、他人に自分の辛さなんてわかるはずがありません。
少しでもいつもと何か違う辛さがあるなら休む選択をしてもいいんです。
一番大切なのは自分!
結局自分を守れるのは自分しかいないのです。
それをこの経験をして、一番学んだ事でした。
ついに休職
一旦診断書を提出しに、出社。
診断書を受け取り確認した部長さんが休職してもいいと許可をしてくれました。
その日はもう有休を使い果たしてしまったので、一日軽く仕事をしました。
そして、この期間お給料が出ないので、傷病手当の手続きの仕方も部長さんが総務に確認してくれていたようで、その手続きの仕方を教わり、用紙ももらい、
ついに、二ヶ月休職に踏み込みました。
一応私が休職するまでの流れはこんな感じです。
いろいろあり、身体的にも精神的にも辛く、覚えていない部分。
うろ覚えな部分がありました。
でも何か皆さんの何か為になるならと思います。
本当に無理な頑張りはよくありません。
自分で決断、休む勇気も必要だなと思いました。
では次回は休職してどうやって自律神経失調症を治していったのかをお話しします。